【キングダム】ばよう(馬陽)の戦い

今回は、キングダムの『ばよう(馬陽)の戦い』について少し長い内容ですがお伝えします。ネタバレもあるので注意してください。王騎(おうき)や信そして羌瘣(きょうかい)の知力・武力での働きが素晴らしいです。

【キングダム】『ばよう(馬陽)の戦い』の大体のあらすじと感想です!

信が王騎から命ぜられた「修行」と名の付く無国籍地帯の平定を担っている頃、秦国は20万人の兵を興し隣国の韓(かん)に攻め入ります。

軍を率いるのは秦国将軍である蒙驁(もうごう)です。

昌文君曰く、蒙驁(もうごう)は『極めて凡庸な将軍』で、定石通りの堅実な攻めと守りを行う将軍です。

『極めて凡庸な将軍』とは、強い相手には勝てないが弱い相手に負けることは決してない、という将軍の意味。

 

ちなみにこの蒙驁将軍、貂(てん)が入門した昌平君の軍師養成機関の先輩弟子・蒙毅(もうき)の祖父であり、呂氏四柱の武官である蒙武(もうぶ)の父親です。

 

韓の国境付近においての城攻めが続く秦軍。

順調に城を攻め落とし、韓国内に深く進軍していく蒙驁率いる秦軍。

 

この情報はもちろん逐一、軍師養成機関にも入ってきます。

地図を見ながら秦軍の現在地を見た貂は、「深入りしすぎじゃないか?ここで他の国が攻め入って来たらどうするんだ?」という不安を先輩弟子の蒙毅にぶつけます。

それに対して蒙毅の見立ては、隣国である魏と楚には、それぞれ別の将軍が率いる軍が対峙(たいじ)しているので、簡単にはここに攻め入れられることはない。

そしてもう一つの隣国、趙にももちろん軍はあるが、それを率いる将軍がいない。

だから、ここに集中していても大丈夫だ、でした。

 

かつて、趙には『三大天』と呼ばれる3人の大将軍がいました。

その『三大天』とは

『廉頗(れんぱ)』『藺相如(りんそうじょ)』『趙奢(ちょうしゃ)』。

秦で言うところの『六将』にあたります。

しかし今は『三大天』も亡く、大軍を率いる器量を持った将軍はいないので、趙は動けないのです。

秦の中枢の考えも同様でした。

『趙は今は動けない』

しかし、、、

動けないはずの趙が、12万の大軍で秦に攻め入ります。

国境の『馬央』という城を落として進軍を続けているという報告が入ります。

更に、馬央の秦国人や周辺の集落の秦国人が趙軍に蹂躙(じゅうりん)されており、乳飲み子まで殺されて血の川が流れていると。

【キングダム】『ばよう(馬陽)の戦い』呪われた『長平の戦い』への報復

この原因は、以前の戦い『長平の戦い』に起因していると考えられます。

『長平の戦い』で、投降した趙兵40万人に対し、秦の六将の一人である白起(はくき)が下した決断は、趙兵40万人の投降兵全員を生き埋めにするというものでした。

その戦い以来、趙は秦を恨み続けています。

今回の進軍で、馬央や周辺の住民を皆殺しにしているのは、『長平の戦い』の恨みからくるもののようです。

その1例として、秦国の裸体の女性の遺体を積み上げ、その上に白起(はくき)将軍が裸で座る、という常軌を逸した行動です。

秦軍としては、趙軍をこのままにしておけず、かと言って韓に攻め入っている蒙驁(もうごう)軍を呼び戻すにも時間が掛かり過ぎる。

そこで秦軍は、徴兵令を出して急遽10万の兵を興し、趙軍を迎え撃つことにします。

韓に攻め入る際、前回魏を攻め入る際に徴兵した地域には昌平君の計らいで徴兵をかけていませんでした。

しかし今回、急な趙軍の侵攻に対し、前回魏を攻めた際に徴兵した地域にも戦える者全てに対する強制的な徴兵がかけられます。

【キングダム】『ばよう(馬陽)の戦い』信率いる農民兵の底力は?

今回は、以前信と伍を組んだ同郷の尾平(びへい)、尾倒(びとう)や、伍長の澤(たく)さん、甲冑を買いに行った際に再会した田有(でんゆう)たちも徴兵されます。

他にも信や尾平達と同じ、城戸村出身の初陣組も何名かが加入します。

 

信はその頃、王騎に言われた「無国籍地帯」の平定を終えたところ。

王騎に崖から蹴り落とされて、4か月ほど経っていました。

平定の経験で、またひと回りたくましくなった信。

 

侵攻してきた趙軍12万人に対し、秦軍は10万人。

単純に計算では、2万人ほど秦軍が劣勢です。

尚且つ、趙軍は十分な準備と軍編成がなされていますが、秦軍は急遽集められた農民兵が多数を占めてます。

こうなると、誰がどうやって秦軍を率いるか、その将の力量にかかっています。

 

名だたる武将は蒙驁と共に韓に攻め入っており、秦国王都・咸陽に残っている呂氏四柱の蒙武(もうぶ)を10万の軍の総大将にしようとする呂氏。

しかしそれを昌文君が止めます。

 

昌文君は現在は文官になったとはいえ、先々代の昭王(しょうおう)の頃は戦の最前線で戦った武官です。

昌文君の言い分は、戦の強さ『攻』と『守』において、今回の戦いで趙軍を迎え撃つ城、ばよう(馬陽)を抜かれたら終しまい、と。

つまり、ばよう(馬陽)を守るための強力な『守』が求められる戦いになる。

蒙武は『攻』の強さに特化しており、『守』の強さがない。

故に、この戦いで総大将を務めるべきではない、と。

【キングダム】『ばよう(馬陽)の戦い』『守』では右に出る者はいない将軍は?

これに対して蒙武は激怒しますが、昌文君の言い分は間違っていなく、呂氏もそれを認め蒙武を諫(いさ)めます。

では、誰ならば総大将を務められるのか?

そんな将軍は残っていないのでは?

そこで、「一人だけいます」

昌文君が総大将に推したのは、王騎将軍でした。

その時、王宮の正殿に現れた王騎将軍。

王騎軍は、副将・騰と修行を終えたばかりの信を従えています。

「何故ここに現れた」と問われると、「軍議に呼ばれたから」と。

王騎軍を呼んだのは、呂氏四柱の軍師であり、秦軍総司令の昌平君でした。

 

呂氏四柱なら同じ呂氏派の蒙武を推すことが考えられます。

しかし昌平君はそういった繋がりにはとらわれないで、最良な選択を考えられる人のようですね。

 

昌平君の「軍総司令としての私の決定だ。もはや覆ることはない」という一言で、秦軍総大将は王騎将軍に決定しました。

信と渕さんは、すでに出発している歩兵軍に追いつくため、軍議後すぐに出発します。

 

翌朝の出発のために控えている王騎将軍に、昌文君は問います。

「しばらく戦から離れていたのに、なぜ今回の総大将を引き受けたのか?」と。

 

昌文君と王騎将軍は旧知の中で、出会いは2人がまだ百人将の時です。

少し先輩だった昌文君から、王騎は色々学び、あっという間に昌文君を追い抜き出世して将軍になりました。

 

若い頃から共に戦場で戦ってきた2人。

王騎にとって、「一番熾烈だった」と語るのが『ばよう(馬陽)での戦い』。

趙郡の侵攻を受け、これから王騎率いる秦軍が守りに行く城『ばよう(馬陽)』。

その9年前に六将の一人である王騎と同じく六将の一人である摎(きょう)、そして昌文君が参戦し、趙より奪い取った『ばよう(馬陽)』です。

 

それは王騎にとって忘れがたい、戦いの最中で同じ六将の一人であり婚約者でもあった摎(きょう)が倒れた地である因縁の地の『ばよう(馬陽)』。

王騎将軍と『ばよう(馬陽)』という城には、そんな因縁があったのです。

 

そんな因縁の地で、『昭王の六将としての自分と決別するため』に参戦する王騎将軍。

そんな思いを携えて、翌朝王騎将軍は秦国王都の咸陽を出発します。

【キングダム】『ばよう(馬陽)の戦い』敵は因縁の相手!?

王騎将軍出発後、咸陽に伝者が来ます。

「今まで不明だった趙軍の総大将の名が分かった」と。

伝者曰く「趙軍総大将の名は龐煖(ほうけん)です」。

それに対して、正殿にいた国王・政、丞相・呂不韋、軍総司令・昌平君、その他大臣たちも、一様に「龐煖(ほうけん)?誰だそれは?」という反応。

ただ一人、末席の昌文君を除いては。

この時点で、昌文君しか知らない龐煖(ほうけん)。

 

この龐煖(ほうけん)が、この後秦軍、特に信にとっては非常に大きな障壁となります。

昌文君の様子がおかしいことに気づいた呂不韋は、「龐煖(ほうけん)とは何者か?」と昌文君に尋ねます。

昌文君は、「龐煖(ほうけん)は趙の武将、いや武将ではない。武将のように人を率いる類の人間でなく、完全なる個。もっとおぞましく、純粋に、「武の結晶」だ。9年前の、ばよう(馬陽)攻防の際、六将の一人である摎(きょう)を討ったのが、その龐煖(ほうけん)である」と言う。

その言葉に一同は驚きます。

なぜなら、六将の一人である摎(きょう)は「病に倒れ、亡くなった」と皆聞かされていたためです。

 

しかしそれは当時、王騎と昌文君が画策して流した嘘だったのです。

戦の最中の就寝中だったということもあるが、その出来事があまりにも衝撃的だったため、真実を語れなかった、と。

 

9年前の、ばよう(馬陽)攻防時、夜間は摎(きょう)の天幕を、二千の兵が囲み、護衛していました。

そこに龐煖(ほうけん)はただ一人で現れます。

矛一本で護衛の二千の兵たちを薙ぎ払い、「草原を歩くように」天幕に近づく龐煖(ほうけん)。

 

これは趙軍の策ではなく、寧ろ趙軍など全く関係のない、ただ『強さ』を極めたい龐煖(ほうけん)が、六将の一人摎(きょう)の強さを感じ取り、戦いに来ただけなのです。

そして摎(きょう)は龐煖(ほうけん)に討ち取られました。

この騒ぎを聞き、すぐに駆け付けた王騎は激高し、龐煖(ほうけん)に一気に攻めかかります。

「あそこまで激情にかられた王騎を見たのは最初で最後だ」

と昌文君が言うほど王騎は激昂していました。

そして龐煖(ほうけん)を討ち取った、はずでした。

 

しかし、今回秦に侵攻する趙軍の総大将は龐煖(ほうけん)だという。

王騎はとどめを刺しきれず、龐煖(ほうけん)は生きていたようです。

今回、王騎は龐煖(ほうけん)が趙軍の総大将であることを知り、摎(きょう)の仇討ちに行ったのではないかと考えられます。

 

政と昌文君も、そう推測します。

ただ、咸陽へのこの知らせは、届いたばかりです。

でも王騎は、何かを感じ取ったのかもしれませんね。

 

摎(きょう)のことは、政もよく知らないほど実際謎に包まれた人物でした。

六将の中で一番若かったが、その戦いは一番勇猛だった。

性別も不明で、いつも仮面をつけており、人前では決して仮面を外さなかった。

なので、仮面の下は火傷で爛(ただ)れていたという説もある。

或いは、美しい女性だった、という説も。

【キングダム】『ばよう(馬陽)の戦い』信と王騎将軍の違いは!?

さて、

王騎より先に咸陽を出発し歩兵軍に追いついた信は、前回魏軍と戦った際の仲間と再会し、早速100人の部隊を編成します。

大将は信。

そして副将が2名付きました。

1名は、昌文君と信の連絡係だったが、無国籍地帯平定に付き合わされた渕さん。

そしてもう1名は羌瘣(きょうかい)です。

 

羌瘣(きょうかい)は、象姉(しょうねい)の仇討ちのため魏に行っていましたが、仇である現蚩尤が趙に移ったということで、趙に行くと聞いた今回の戦に参加することになりました。

 

そして無事に部隊編成が終わり、ばよう(馬陽)を目指す秦軍。

向かう途中で、先に襲撃され陥落した城である馬央(ばおう)の話が兵たちに伝わってきます。

住民は一人残らず殺され、周辺の集落も漏れなく襲撃された、と。

年寄りも女も、赤ん坊だろうが妊婦だろうが、すべて殺され血の川が流れた、などと言った蹂躙話が耳に入ってきます。

 

しかし自分たちも、数日後にはそういう奴らと殺し合いをすることになるのです。

今回の軍は準備期間もほとんどなく、「戦えるものは全員集まれ」という強制徴収であったため初陣の者も多く、心の準備も戦いの訓練も何も準備出来ていない者が多くいました。

 

目的地が近づくにつれ、恐れをなした脱走兵が出始め、数日後には千人を超える脱走兵が出ました。

これにより当然軍の士気は下がり、信が檄(げき)を飛ばすもまったく響きません。

 

「このままの状態で戦に入るのはまずい」

そんな中、遅れて出発した王騎将軍率いる騎馬隊が、歩兵軍に追いつきます。

六大将軍である王騎の通過を、歩兵たちは固唾を飲んで見守ります。

そこで、王騎が一言。

「全軍、前進!!」

歩兵たちの士気が一気に上がります。

これは、『六将である王騎』という存在の凄さでしょうね。

 

秦の大将軍・王騎の活躍は、人づてに伝えられ、秦の英雄として崇められる存在になっています。

そんな大将軍が、目の前で自分たちを鼓舞してくれる!!

これって凄いことなんでしょうね。

【キングダム】『ばよう(馬陽)の戦い』飛信隊現る!!

士気の上がった秦軍の前に、目的地である城のばよう(馬陽)が姿を現しました。

ばよう(馬陽)攻防戦が開始します。

中央に陣取った蒙武(もうぶ)は、趙軍の予想を上回る強さで、重装騎兵をなぎ倒しながら進軍していきます。

しかし、一旦守備に取り込まれた蒙武軍は、攻め続けますが苦戦を強いられます。

 

壁千人将を含む、左軍1万は、趙軍の右軍2万とぶつかり合います。

 

数の上では、明らかに不利な秦軍左軍の戦い。

 

ここで王騎将軍が、信の100人部隊に将軍自ら指示を出すため、本陣を離れ直接信の部隊の前に現れます。

王騎の迫力に圧倒される信の部隊の面々。

信の100人部隊は、独立遊軍としてどの軍にも属さず、王騎将軍直属の組織として特殊な任に就くのです。

その任とは…。

王騎曰く「戦の終盤に智将が残っていると、非常に戦いづらい。そういう将には早めに死んでもらった方が良い。」

秦軍左軍とぶつかっている趙軍右軍の将は、軍師にも劣らない智将・馮忌です。

「馮忌には早めに死んでもらいましょう。」

ということで「馮忌の首を取ってこい」というのが王騎から信に授けられた任です。

しかし100人の部隊で、2万の兵の将を討ってこいとは、、、

 

信の策略では「まともに真正面からぶつかるのではない。」

無国籍地帯を平定した経験で、信はそのことにすぐに気づきます。

千や万の軍勢では出来ないことが、100人と言う小規模なら出来ることがある、と。

100人でも、集まれば簡単には破れない。

 

無国籍地帯平定の修業を通じての、信の着実な成長を喜ぶ王騎。

その時王騎より、信の部隊に対し『飛信隊』という名が授けられます。

 

その飛信隊は、

秦左軍 ⇔ 趙右軍

飛信隊

こんな感じで秦左軍と趙右軍が対峙しているところを、真横から馮忌の首を狙う、という策に出ます。

横の山道を敵に見つからぬよう、ソロリソロリと信たち100人が移動します。

が、茂みに隠れていた趙兵に見つかり、合図の笛を吹かれそうになります!!

しかし笛を持ったままの腕が、羌瘣にすぐに斬りおとされます。

周りに数人いた趙兵も、一瞬で羌瘣に斬り殺されます。

 

やっとのことで、趙右軍の真横に辿り着いた飛信隊。

秦左軍との戦いを見ると、人数的には不利にもかかわらず秦軍が押し込んでいます。

 

たまらず退却を始める趙軍。

退却する趙軍を、一気呵成に追いかける秦軍。

しかし、これが罠とも知らずに。。。

【キングダム】『ばよう(馬陽)の戦い』王騎の策略とは!?

秦軍の勢いに圧倒され撤退していく趙軍を追う秦軍。

しかし追いかけた先にあったのは、、重厚な盾の壁と、壁から突き出す無数の槍。

それに気づいた秦兵は、止まろうとするも後ろから来る仲間の勢いに押され、槍に串刺しに、、

そこへ横から、雨のように降り注ぐ矢。

勢いづいていたところを、一気に劣勢に貶められる恐怖。

趙右軍の馮忌は、やはり只者ではないようです。

 

その様子を真横で見ていた飛信隊。

少数兵の有利さはあれど、途中で見つかり、秦左軍同様に盾の壁と無数の槍にやられる可能性が高い状態。

それを見越し、力の強い4人を先頭に据え、まずは盾の壁の突破を考えます。

その4人の内3人は魏戦の経験があるものの、竜仙(りゅうせん)はこれが初陣。

青ざめた顔色の竜仙(りゅうせん)。

伍長の1人の松左(しょうさ)曰く、竜仙(りゅうせん)には第一子が生まれたばかりだと。

ここで竜仙(りゅうせん)が死ねば、生まれて間もない子供がいきなり片親になってしまう。

察してやれ、と。

信は構わず、作戦の説明を続けます。

ここで自分たちが、王騎から与えられた命を達せられず、趙軍に勝つことができなくて、ばよう(馬陽)を突破されれば、自分たちの家族も殺されることになる。

馬央の人たちが趙軍にされたように、老人から女、子ども、乳飲み子に至るまで惨殺される、と。

それを止めるために、今ここで趙右軍の将である馮忌を討たなければならない!!

信の檄(げき)に、竜仙(りゅうせん)も覚悟を決めます。

 

その頃、趙右軍の反撃に曝(さら)された秦の左軍は、左右からは矢の雨が。

後方が開いており、そちらに向けて走ると背を討たれることになることは分かっている。

これも馮忌の策。

 

矢傷を負いながら、「後ろは罠だ!突破口は前だ!前進せよ!」と檄を飛ばす壁。

飛信隊は、趙右軍の本陣に、横から奇襲をかけていく。

本陣を守る親衛隊に突破を阻まれますが、100人の部隊を更に小分けにし、30人程度で馮忌の元に辿り着く飛信隊。

王騎軍の干央軍長や壁ら秦左軍も、元々の一万の数を大きく減らしながら、馮忌の元に辿り着きます。

それでも馮忌を守る手練兵の壁は強く、馮忌まであと少しが非常に遠く感じる。

策には自信を持っていた馮忌ですが、ここまで敵の接近を許したことに疑問を持ちます。

秦軍が一万の兵で正面から来たので、左右の陣を上げ囲い込んだ。

そのため、100人の小隊が自分の近くまで来た。

その100人の小隊で自分を討つため、左右の陣を上げさせた?

だとしたら、自分は初手から王騎の策に嵌っていたということか!?

慌てた馮忌は本陣を残し、精鋭を引き連れて後ろの茂みに駆け出します。

自分を討てなければ、王騎の策も秦左軍を壊滅させただけの愚策となる。

 

しかし、向かうの茂みから無数の秦の旗が出現します。

気付かないうちに、本陣の後ろに秦軍が回り込んでいた、ということか!?

これも王騎の策でした。

50程度の小隊に、全員に旗を持たせて立たせただけ、だったのです^^;

馮忌が迫れば逃げるだけの小隊ですが、一時の間だけでも馮忌の足を止めるには充分でした。

「殿の飛矢が届く」

干央の言葉と共に、どさくさに紛れて信が馮忌を討ちます。

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