【キングダム】 もうごう(蒙驁) の死を悼む声が多い訳は?

もうごう(蒙驁)が気になる人多いみたいですが。確かにどこか魅力的な猛将ですね。あの笑い声もなかなかいいです^^優しいおじいさんで家族や部下にも思いやりがあるので慕っている人も多いです!そんなもうごう(蒙驁)を見てみました!!

【キングダム】もうごう(蒙驁)将軍の過去や死に際そして人気の理由を見てみました!

【キングダム】もうごう(蒙驁)将軍とはどんな人物か見てみました!

もうごう(蒙驁) は、そもそも斉の生まれで武将として戦場に出て戦っていました。

斉国出身でしたが廉頗(れんぱ)によって何度も敗北したので流れ流れて秦国に来たという経緯があります。

愛称は『白老』です。

自他ともに認める普通の将軍ですが、弱い相手とは必ず勝つので地道に実績を積み上げて『大将軍』とよばれています。

その為、昌文君はもうごう(蒙驁)を『極めて凡庸な将軍』と評していました。

ただ、とてつもなく大柄な肉体から出される一発は威力があり、武人としては勇者です。

人を見抜く目が鋭く、マネジメント力がずば抜けています。

その上、おおらかで優しいので部下からも慕われています。

もうごう(蒙驁) は破竹の勢いで1か月に11の城を落とします。

ただこれには訳があります。

もうごう(蒙驁) には2人の副将が2人いました。

桓騎(かんき)と王翦(おうせん)です。

凡将の もうごう(蒙驁) が戦功をあげていたのは2人の極めて優秀な武将・桓騎(かんき)王翦(おうせん)が副将として支えていたからでもありました。

2人とも難癖のある元盗賊や危険な野心家といった人物でした。

しかしそんな凶悪な人間でさえも、従わせるくらいの統率力の持ち主です。

もうごう(蒙驁) は人の能力を見抜き、それを有効に使う能力が非常に高いと言えます。

2人とも時代さえ違えば『六将』になれるという力量の持ち主です。

そして六将の王騎(おうき)も認める存在でした。

 

かつて王騎(おうき)がライバルと認める廉頗(れんぱ)に言ったことがあります。

「戦に退屈したら蒙驁軍と戦え」

その言葉で王騎(おうき)が評価したのは、もうごう(蒙驁) ではなく2人の副将に対してです。

極めて凡庸な将軍と言われたもうごう(蒙驁) は、優秀な2人の副将によって支えられていたのです。

そして、今まで一度も勝ったことがない元趙国三大天の廉頗(れんぱ)と、魏の山陽戦で再び対峙することになります。

その廉頗(れんぱ)との激しい一騎打ちでは、ついに片腕を失った もうごう(蒙驁) 。

再度敗けを覚悟しますが、桓騎(かんき)王翦(おうせん)が魏軍を追い詰めます。

その結果、魏軍立て直しは不可能と判断した廉頗(れんぱ)は、もうごう(蒙驁)に和睦を申し入れ、 もうごう(蒙驁) は初めて勝ち星を手に入れ山陽を落とすことが出来ました。

 

そしてその山陽戦から2年後、 もうごう(蒙驁) 危篤の知らせが信に届き、信たちは駆けつけました。

もうごう(蒙驁)の孫の蒙恬(もうてん)もいます。

もうごう(蒙驁) は死の床で、信と蒙恬(もうてん)に「蒙恬(もうてん)と信と王賁(おうほん)。三人で一緒に高みに登れ」と言い残して息を引き取りました。

 

昔から城取の名人で『白老』の名前でいろいろな国から恐れられていた大将軍であったもうごう(蒙驁) 。

信や漂も「ガキの頃から名前を聞いていた もうごう(蒙驁) 大将軍」と言っています。

【キングダム】もうごう(蒙驁)は史実では9年で72城を落とした大将軍!

廉頗(れんぱ)に決定的なコンプレックスを持つ凡将で、それゆえに確実で堅実な手を打つとされるもうごう(蒙驁)ですが、歴史に姿を現してからわずか9年の間に72の城を陥落させています。

かつて秦には『白起』という豪傑がいました。

白起もレコード記録では、72城を陥落させていますが、37年程の長い間に落とした数です。

スピードとレコード記録で見ると、もうごう(蒙驁)がダントツ1位になります。

こうして考えるともうごう(蒙驁)は、白起や王翦(おうせん)や丹庸を上回るスーパー名将ということになります!!

【キングダム】もうごう(蒙驁)は韓や魏を落とした猛将!!

紀元前246年、太行山の中腹に晋陽が反乱をおこします。

もともと普陽の乱は趙の策謀だった可能性があります。

もうごう(蒙驁)はこの反乱を何なく鎮圧しました。

紀元前244年合流により函谷関に押し込まれた秦に、もうごう(蒙驁)は吉報をもたらせました。

秦が食客を放ちって讒言を流していた魏王が仲たがいをしました。

魏王から遠ざけた信陵に対して親しくしていき、遠ざけられた信陵は酒におぼれて死んでしまいます。

再び合従軍が興るという不安が消えた秦は、もうごう(蒙驁)を再び進軍させ函谷関から韓を攻めて十三城を落とし、さらに魏を攻めて酸棗など二十城を奪い、それを東部に配置しました。

【キングダム】もうごう(蒙驁)の名台詞を集めてみました!

『急くな急くな ゆるりと攻めればよいぞ 城は逃げはせぬ』

(第11巻三大天より)

『儂を守り抜けばおのずと勝つ!その為には隊が崩れぬよう必死で戦え』

『よいな我が兵達 我が戦友達 兄弟達 我が息子達よ』

20巻 副将動くより)

『不思議とこの年になると分かるところがあるのじゃ

死力を尽くす戦いが近づいているとな。

今回だけは儂も退くことはない』

(第21巻 欠落より)

【キングダム】もうごう(蒙驁)将軍の才覚とタイプは?

会った相手の才覚を見抜き、自分の手下に取り込み動かす力に長けている

もうごう(蒙驁)は、型破りな最強の武将2人(王翦と桓騎)を副将に従えています。
王翦(おうせん)は軍略においては中華最強と謳われるほどの実力者で、桓騎(かんき)はいまだに敗北知らずで『化け物』と評される、どちらも戦のカリスマです。

ただ、この2人は両者とも性格や行動に癖があり、秦国からも危険人物として見られています。

王翦(おうせん)は「自分が王になりたい」という思いを持っており、敵将を自分の領内(くに)の仲間に勧誘することも度々あります。(あの中華最強の敵国の武将李牧をも仲間に引き入れようとしました)

桓騎(かんき)は『首切り桓騎』という異名がつくほどの異常な程の拷問や殺戮や、敵国の一般市民への虐殺行為など、非道な手段を平然と行い、秦への忠誠心も薄い山賊の頭領です。

もうごう(蒙驁)将軍の多くの戦勝の実績は、実質この2人によるものが大きいとされています。
ただ、ここに、もうごう(蒙驁)の力量があります。

副将1人でも、大将軍クラスの武将2人を自身のマネジメント力のみで、うまく両者の強みを引き出しながら使って圧倒的な成果をあげています。

実際、1人で影響を与えられるのには限度があり、どんなに優秀な人でもそれは同じです。

ただ適材適所の力をうまく組み合わせることによって生み出す影響力は、凄まじいものがあります。

しかもこの場合は完全に強みを引き出して、弱みを打ち消しているため生み出す影響力は足し算ではなく掛け算ですね。

組織でいうと、採用の力(才覚を見抜く力)と育成の力(マネジメントの力)が組織の目的達成にダイレクトに影響してくるということです。

「父は他の大将軍に比べ軍才では劣るが、その分人を見る目は天下一」
というもうごう(蒙驁)の息子である蒙武の言葉があります。

ちなみに廉頗(れんぱ)との戦いで信を千人将へ抜擢したことも才覚を見抜く力と言えます。

将軍らしからぬ人間らしさを持ち合わせている

廉頗(れんぱ)がでおった』

相手をする敵の将軍が、戦って過去一度も勝ったことがない相手だと知った時の動揺の様子です。

もうごう(蒙驁)はこういった感情表現がある描写が描かれることが多く、他の勇猛な将軍とは違って人間らしさを持っています。

『不思議な癖』
もうごう(蒙驁)は大きなプレッシャーを受けた時、決まって小汚い老人歩兵に変装して町を徘徊するという癖があります。

こういう所も、もうごう(蒙驁)の人間らしさが現れている場面で、彼は一時的に現実逃避して気持ちを落ち着かせようとします。

もうごう(蒙驁)は過度の重圧に耐えきれなくなったら、自分で心を整えるセルフマネジメントも出来るのです。

地位の低い部下の話でも、しっかりと聞き入れる素直さ

老人歩兵に化けたもうごう(蒙驁)「一度も勝ったことのない相手ともう一度ケンカすることになった」とたまたま出くわした信に打ち明けます。

すると信がすかさず「悩む意味が全くわからん、最期に勝てば一発逆転。ケンカは最期に立ってた方が勝ちだ」と言います。

もうごう(蒙驁)は数万の軍を率いる大将軍ですが、この時の500人将の信の言葉を素直に受け止め、戦う覚悟を決めます。

当たり前のように思いますが、この時代に大将軍が部下の意見に素直に耳を傾けるということはあまりありません。
地位に頓着せず、一番大切なことに焦点を当てることが出来るところがもうごう(蒙驁)が大将軍になれた所以ですね。

最期まで愛される力

『大勢の人に惜しまれて逝く』

人としての価値はどこで決まるのか?
は多くの議論を生みますが、強制的な状況ではなく
最期の瞬間まで大勢の人から惜しまれ感謝されながら死んでいきました。

もうごう(蒙驁)の死は大勢の人に見守られた、もうごう(蒙驁)らしい死に方でした。

【キングダム】もうごう(蒙驁)将軍の死への桓騎(かんき)のたむけとは?

合従軍戦で函谷関を守り抜き、雄たけびをあげた秦国の大将軍であり、蒙武の父であるもうごう(蒙驁)将軍。

その合従軍の戦いの後、信と蒙恬(もうてん)に見守られながら亡くなります。

この時桓騎(かんき)もうごう(蒙驁)将軍へのたむけとして、敵兵の死体の山を築き大炎を巻き起こします。

発想ややることは、やはり残虐ですが、もうごう(蒙驁)将軍への想いが感じられる場面です。

おそらく桓騎(かんき)は秦軍に入ってからは、ずっともうごう(蒙驁)将軍の下で戦ってきたのでしょう。

その残虐性から賛否両論あると思いますが、戦の天才として生きてきた桓騎(かんき)です

桓騎(かんき)は、元大野盗の首領であり死体を弄ぶことにすら何のためらいもありません。

その残虐性に、敵兵は恐れおののき戦意を喪失したところを桓騎(かんき)は討っていきました。

そういう桓騎(かんき)には人の心がないのでは、、、と思ってしまいます。

しかし、そんな桓騎(かんき)が人への情を見せるような場面です。

その象徴的な場面は、 もうごう(蒙驁) 将軍に対する桓騎(かんき)の態度です。

 

そこに現れるもうごう(蒙驁)将軍の笑い声「フォッ フォツ フォッ」

この笑いで癒されたのでは?と思います。

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